梅田望夫、平野啓一郎「ウェブ人間論」

今月行く、「夕学五十講」の平野さんの講演会の予習の一環として読んだのですが、なかなか刺激的な内容でいろいろと勉強になりました。
この本を読んだあとに平野さんの「あなたが、いなかった、あなた」を読んでいると、「ウェブ時代にどうすれば小説は生き残っていくことができるのか」ということに、作家としていち早く模索しているんだなということを強く感じました。
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今後のこのブログについて

普通の日記から始めて、いつの間にか読書感想文になり、最近では観劇記兼イベント関係の感想と化してしまったこのブログ。最初は自分の文章の訓練のためという、ごくごく初歩的な理由で書き始めたのですが、いつの間にか大きく趣旨が変わってしまったため、内容が散漫になってしまったり、更新スピードが追いつかなくなってしまったりしてしまい、さて今後はどうしたものかと去年からずっと悩んでいたのですが、今年に入ってようやく方針を決めました。

結論としては、今まで書いた部分はそのまま残しつつ

1.観劇記をメインに、その他イベント、本、DVDなどで等で強く印象に残っていてどうしてもまとまったことを書きたい時や、情報を発信したい時にはこちらのブログを使用。
2.ごくごく私的な文字通り「日記」に当たる部分は新しく開設したブログに。

という形にブログを2分化することにしました。これで少しは内容が整理されるのではないかと思います。遅くなりがちな観劇記の方もきもち早く更新できたら、思っています。これは自分の勝手な願望ですが。

これは全くの後付になるのですが、先日、梅田望夫さんと平野啓一郎さんの「ウェブ人間論」を読んでいたときに、平野さんが「ブログをやっている人の意識はだいたい5種類の意識がある」ということに言及しているのを読んで自分の中でブログをやるということの2つの目的や意識が少しずつ乖離してきているな、ということを強く感じたのでブログを2分化するにはちょうどよいタイミングだったのかなということもあります。ちなみに平野さんが言及していた5種類の意識とは自分なりにまとめると

1.梅田さんみたいに実名で書き、リアル社会同様の礼儀が保たれ、その中で有益な情報交換が行なわれているというもの。

2.リアル社会の生活で十分に発揮できない多様な一面が、表現される場合。趣味の世界など。

3.一種の日記。あまり人に後悔する意識が強くないかもしれない。

4.リアル社会の規制に抑圧されていて、語られることのない内心の声、本音といったものを吐露する場所として捉えている。ネットの中の自分こそが「本当の自分」という感覚の独白的なブログ。

5.一種の妄想や空想のはけ口として、半ば自覚的に、ネットの中だけの人格を新たに作ってしまう人たち。

という感じでしょうか。この考え方に当てはめた場合、私の場合は最初1の目的で始めたブログが、段々と2の状態になってしまい、かといって1で書きたい事がある、といった感じになってしまい、ブログの中が収拾がつかなくなってしまったということでしょうか。ダイエットでリバウンドにならないように自分にプレッシャーを掛けるためにブログを活用したいとか、基本的に頭が高い性格なので「です〜」、「ます〜」口調ばかりで書いているとちょっと抑圧を感じることがあるので(そういうのが表に出ないようにあえてそうしているというのもあるのですが…)、たまには「である〜」体で書いてみたいとか、無理矢理理由付けをするといくらでもあるのですが。

そういうわけなので、しばらくは2つのブログを平行して書いてみて、もし軌道に乗るようでしたらお互いをリンクしてみようかと考えています。

極めて個人的な決意表明ですが、ここにお立ち寄り頂くみなさま。気分を一新してこれからも観劇記を中心に更新していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

スロウライダー「手オノをもってあつまれ!」@THEATER/TOPS

(あらすじ)
舞台は未来の九州南端の港湾都市の団地。アメリカが滅亡してしまい石油が枯渇してしまったこの世界で生き延びるため、その間唯一地元を支えてきたともいえる黒糖メーカーが、石油に変わる新しいエネルギー資源を開発しているブラジル系企業に合併吸収される決断をする。そのおかげで都市は何とか生き延びることができたが、そのせいで外からやって来た労働者(ナンミン)と地元民(ジモティ)との対立が深刻化し、問題になる。
その都市の団地に住む、一人の男と元黒糖メーカーの一人娘とが恋に落ちたが、娘はバイオ燃料の原料の持つ副作用で、顔を見たものが笑わずにはいられないという奇病にかかり、彼らはキスひとつすることができなかった。
(感想)
所々やや大げさな気味な台詞回しや動き、随所にでてくる元ネタがすぐわかってしまう映画や漫画やゲームのパロディの数々。パロディのネタそのものは随分とチープな使い方をしているせいかやや安っぽくて嘘くさい作りなのですが、かと言って安っぽくて興ざめするという線は踏み越えない。この辺の巧みにコントロールされた優れたバランス感覚を保つのは簡単そうでいて結構難しいことだと思います。舞台では笑いが絶えないのに、作品上の人物も観客も笑えないというシチュエーションもなかなかシュールで面白いとは思います。
とはいっても、最初のうちは、まるでチープなゲームのような展開に、「狙ってやっているんだろうし、悪くはないけどこのまま進んでいくのはいやだなあ」という不安が先に立ったのも事実。前回公演とのあまりにも大きな落差にとまどったということもあって、最初の30〜40分はややフラストレーションを感じながら観ていました。
その印象ががらりと一変するのが、この作品の中で繰り広げられていることが実はネットゲーム上の出来事かもしれないということに気がつきだしてから。振り返ってみるとそう考えると作品に辻褄が合うなと思いながらも、実はゲーム上のヴャーチャルな空間に見せかけた現実の社会、という可能性も捨てきれません。それだけでなく、ゲームの中でもプレーヤーの行動によって同じ場面なのに全く違った展開になってしまったり。途中から脳味噌がかき混ぜられるような混乱に陥りながらも、その混乱が心地よくて、気が付いたら作品の世界にグイグイと引きずり込まれていました。「リアルな世界に見せかけて、実はヴャーチャルな世界だった」というのは、舞台ではどうかわかりませんが、少なくても小説やゲームや映像の世界ではかなり良く見かける設定だと思います。ただ、この作品が他の作品と一線を画しているのは、一つはそのことがわかることが作品のゴールではなくスタートであるということ。そしてもう一つは、その「ヴァーチャル」とその外側にある実生活の「リアル」な世界、その「ゲーム」の世界を生身の「人間」が「演劇」という形で演じているということを強く意識させてくれることではないでしょうか。
ただ、この作品が急激に面白くなってきたのが、この劇中の仕組みが分かってからなのですが、そのシーンに向かうまでのプロセスや説明がやや不親切なため、ただでさえ分かりにくい作品を余計分かりにくいものにしているのがやや難点。あまりあからさまにしてしまったら作品そのものが台無しになってしまうとはいっても、私が偶然分かったのも元ゲーマーだったのと、「何かゲームっぽい」という先入観があったお陰。ゲームに興味のない人には何がなんだか?といった感じになってしまう危険性もあるのではないでしょうか。私だって細かい部分までは全てが分からなかったですし…。
現実と仮想の世界で揺れ動いた地に足がつきそうでつかない微妙な感覚を描いた山中隆次郎さんの脚本の面白さも大きいのでしょうが、その微妙な差をコントロールし演じ分けた役者さんたちの演技と演出には本当に感心させられました。個人的には、SHAMPOO HATの多門勝さんとはえぎわの町田水城さんのチンピラコンビの見た目に反した繊細さ、ポカリン記憶舎の日下部そうさんの穏やかな外見が少しずつ歪んでいく演技が好きです。日下部さんの演技は前回公演や他の客演でも印象残っているので、自分の劇団で一体どんな演技をするのか興味があります。
ちょっと分かりにくい部分こそありましたけど、細部まで作りこまれていて良く出来た作品だったと思います。作品の世界にどの段階で、どこまで入り込めたかで人によってかなり印象が変わってくるので、必ずしも万人向けだとは思えない作りだとは思いますが、一度その世界に入り込んでしまうと、終演まで舞台に釘付けになって離さない力を持っている作品だと思います。

クロムモリブデン「スチュワーデスデス」@駅前劇場

(あらすじ)
「悩みから開放してあげる」と言って女性を殺した殺人鬼の男が、死刑を宣告された瞬間昏睡状態になってしまった。そのせいで刑の執行が出来なくなってしまった遺族は殺し屋に男の暗殺を依頼する。ただ、かれが意識のないうちに苦しまずに死ぬのが許せない遺族は男を誘拐してきて、彼の目を覚まそうとするのだが…。
(感想)
前回公演「マトリョーシカ地獄」が初見で、2度目の観劇になるクロムモリブデン。前回公演でも感じたのですが、細かい部分では正直色々とアラがあったり、ツッコミたくなってしまう部分を感じてしまうのですが、そんな細かいことは全てぶち壊すといわんばかりのパワーでそんな細かいマイナスさえもプラスに変えていく強力な作品のエネルギーには脱帽のひとこと。そんな多少の無茶を成立させてしまうのも、役者さんの力と、その持ち味を生かし切った演出や脚本、音楽、照明といった作品作りの巧みさがあるからでしょう。同じような展開が繰り返されたせいか、中盤ちょっと作品がダレかける部分もありましたが、それを切り抜けてクライマックスに持っていくあたりはさすが。約90分という時間も、仮にこの内容で2時間の作品を作ったらここまで濃い密度の作品にはならなかったと思うので、ちょうど良かったのかなと思います。
役者さんは皆さんそれぞれとても魅力的。個人的には作・演出目当てで行く事が多いのですが、この劇団については役者さんの演技だけでも観る価値があると感じる魅力があります。コスプレ姿で奮闘する板倉チヒロさん、奥田ワレタさん、葛木英さんを始めとして皆さん良かったのですが、個人的に気に入ったのが殺人鬼役の森下亮さん。柔和でひ弱な青年が、徐々に殺人鬼の顔を見せていくのですが、その少しずつ変貌していく流れがとても自然で、観ていて背中がゾクゾクしました。人の心にある痛めつけたいという気持ちと痛めつけられたいという気持ち、その弱い所を突く怪物という設定も上手くいっていています。重くシリアスなテーマをテーマを潜ませてながらも、その重みに沈むことなくスピード感のある笑いを作り出していっているあたりが、馬鹿馬鹿しいだけ一辺倒ではない、この劇団の非凡なバランス感覚の良さなのだろうと思います。
そのお陰で全体的にも良くまとまっていて、いい作品だとは思うのですが、ただ、今回森下さん演じる殺人鬼が良かっただけに、個人的にはコミカルさとシリアスさとのバランス加減がもうシリアスさの側に振り切れてしまっても良かったのでは、という気がしました。あえて深刻にならないように作品作りをしているおかげで楽しんで観られるという部分も多いのですが、例えばシリアスにもっと掘り下げてもいいのでは?と感じるような場面にまで、軽い笑いでその場を茶化す必要があるのだろうか、と疑問に感じる部分もありました。作品全体にシリアスになりすぎることへの「照れ」のようなものを感じましたし、旺盛なサービス精神がお客さんの期待に答えようとするあまり、逆に自己規制のようなものになっているのだとしたら、いい部分が多かっただけに、まだまだ面白い作品になり得たのでは、とちょっとだけ惜しまれる部分でもあります。

2007印象に残った作品10

ここ数日、メモを見ながら今年を振り返っていたのですが、とうとう観劇数が年間100超えてしまいました。(101公演)
2年前の今頃にはこんなことになるとは全く想像してもいなかったのですが、とうとう深みにはまり込んで抜け出せなくなってしまった感があります。今後自分の趣向が変わってしまい、観劇数が減ってしまっても、おそらく全く観なくなるということはないんじゃなかと思います。そう考えると、この年になってや読書以外の一生モノの趣味をやっと手に入れたのだとも言えます。それが良かった事なのか、それとも取り返しのつかないことだったのかについては、後世の歴史家の判断を待たなくてはいけませんが。
観劇以外にも、本が170冊、講演会が5件、その他のイベントやサイン会が15件強。ここまでいろいろなものをインプットしようと思った年は近年なかったですし、10月に始めたダイエットも三ヶ月経ってもいまだに続いていますし、全体的にはいろいろと充実した1年だったと思います。来年も本や舞台を始めとして、もっと素晴らしいものとの出会いがあることを心から願いたいですし、そうした機会を自分から作っていければと思っています。

前置きが長くなってしまいましたが、皆様もよいお年を。

(本)
森見登美彦「夜は短し、歩けよ乙女」角川書店

有川浩「図書館危機」メディアワークス

桜庭一樹赤朽葉家の伝説東京創元社

海堂尊「チームバティスタの伝説」宝島社

沢木耕太郎「凍」新潮社

万城目学鴨川ホルモー」産業出版センター

・G・ガルシア=マルケス百年の孤独」新潮社

坂口安吾桜の森の満開の下講談社学芸文庫

円城塔「self-refarence engine」早川書房

雨宮処凛「生きさせろ」太田出版

(順番は読んだ順番です)
今年は自分にしては随分とまともだなと思っていたら、本そのものも面白さもありますが、それ以上に読書に付随した体験がある本ばかりが印象に残ってしまいました。森見さん、有川さんはサイン会に行ってしまい、桜庭さん、海堂さん、円城さんはトークショーで話を伺い、マルケスは桜庭さんの作品や文芸漫談に触発され、安吾は舞台や森見さん別の作品の影響を受けて読んでみたらとても面白かった。本を読んだから気になったのか、気になったから本を読むのか、それはその時々によって違いますが、最近、読書体験そのものだけでなく、その本の先にある書き手自身に興味があって仕方がありませんし、その変化が自分の嗜好に大きな影響を与えているように感じます。

(舞台)
庭劇団ペニノ「笑顔の砦」@駅前劇場

・ハイバイ「おねがい放課後」@こまばアゴラ劇場

・M&O plays+PPPP produce「ワンマンショー」(再)@シアター・トラム

・KAKUTA「神様の夜」@恵比寿site

少年王者舘「シフォン」@ザ・スズナリ

・イキウメ「散歩する侵略者」(再)@青山円形劇場

・ONEOR8「ゼブラ」(再)@THEATER/TOPS

メジャーリーグ+庭劇団ペニノ「野鴨」@THEATER1010

パラドックス定数「東京裁判」@Pit北/区域

NYLON100℃「わが闇」@本多劇場

(順番は観た順です。)

個人的には、グリングの「ヒトガタ」も含めて劇団の代表作の再演をそれにふさわしい形で見せていただいた公演が多かったように感じます。
タニノさんは本公演、プロデュース公演ともに、観終わった後に全身に残る感触が素晴らしかったです。
前川知大さん、岩井秀人さん、野木萌葱さんは個人的にそれぞれの方が描く世界にはまりました。特に去年、次点として上げていたハイバイ、パラドックス定数は今年はそれぞれが去年を上回る作品でとても満足。
10本に入れようか悩んだのが、前述したグリングの他に、松井周さんのサンプル、スロウライダー、風琴工房あたりです。あと、阿佐ヶ谷スパイダースも忘れてた。
個人的には来年は本数をもっと絞って観たいと思っているのですがどうなることやら。来年はまだ観たことのない劇団の作品を意識して観てみようと思っているのですが、そうなると前回の公演が素晴らしくて、次回も必ず観ようと思った公演が観れなくなるので、そこが悩み所です。

シベリア少女鉄道「俺達に他意はない」@赤坂RED THEATER

(あらすじ−この劇団の場合、全く意味がないと思いますが)
ビルの中にある喫茶店で待ち合わせをする人達。あいにく外はすごい暴風雨で、電車も停まっていたり大幅に遅れていたりしていて、待ち合わせの人間はその場にやってくる気配がない。そんな時に、喫茶店に浮浪者風の男がやって来たと思ったら、突然倒れてそれっきり息を引き取ってしまう。彼の手には身代金を要求するメモが。ただ、そこには名前が書かれていない。果たして喫茶店にいる一体誰に当てたメモなのか?男が倒れた直後、暴風雨の影響でエレベーターが停まってしまい、喫茶店の中に閉じ込められてしまう。人々は、誰に当てられたのか分からないメモの謎を解決しようと気が付いたら協力しあうことになったが…。
(感想)
シベリア少女鉄道を見ていると、ミステリーやマジックの本編やネタと、解決偏と種明かしという図式を連想させる時があります。今回の作品も前半と後半が各パートに奇麗に分かれているような感じ。その中でも後半の種明かしに当たるパートは相変わらず意表を突いてくれているし面白かったです。あまり多く触れるとネタバレになりますし、言葉で言っても伝わりにくいとは思いますが、ひとことで言うと設置されたモニターに書かれたテロップと実際に演じている役者さんの演技とのズレを巧みに利用したもの。どうしようもなく馬鹿馬鹿しいのですが、小さなネタをひたすら積み重ねながら畳み掛けていく展開も、そのネタがつながって何となく一つの流れになっていくのも理屈抜きで楽しめました。贅沢をいうと、種明かしに当たる部分がちょっと長くなってしまい、ややもすると冗長な感があったこと。二段オチのように、最後にもう一つ話をひっくり返す仕掛けがあったら言う事がなかったのになと思います。
それよりも問題があったのが、前半の本編に当たる部分の芝居と脚本がかなりお粗末だった点。例えば、舞台を密室状態にすること、店員も含めてその場に居合わせている人全てが誰かを待っていること、その中で事件が発生する事、それを解決するために協力せざるを得ない状況にすること…Etc。この作品で、後半の仕掛けを発動させるためには舞台上でいろいろな条件が揃わないといけないことは理解できます。ただ、その条件を成立させると作品につじつまが合わなくなってしまう場面が次々と発生してしまって、その穴埋めをするためだけに、前半部が存在しているようで、そのため前半部の作品の質や面白さがどこかに置き去りになったりおざなりになったという感も。正直、彼らの演技そのものにさほど大きな期待を抱いてはいなかったのですが、役者さんのメンバーを考えると、脚本や演出できちんと動かせばもうちょっときちんとした話はできるはずなのにと思います。個人的には「あまり高くないハードル」なのだからこの程度はクリアして欲しいというレベルさえもいっていないという印象。観客の意表をつくことも大切ですが、そこで楽しめるのは、それ以外の場面をしっかり演じきっているので、通常の場面との落差がより大きくなって楽しめるというもの。前回公演の「永遠かもしれない」の時には、普通にウェルメイドな作品をやっても結構いけるのでは?と思わせる部分があっただけに余計に残念です。
最後の30分は馬鹿馬鹿しいと思いながらも不覚にも笑ってしまいましたが、その前の部分の印象の悪さと、もうひとつ仕掛けが欲しかったという部分で、プラスな部分とマイナスな部分がトントンといったところでしょうか。「面白い」とは思いましたが、「びっくりした」というところまではいかなかったのが残念です。

NYLON100℃「わが闇」@本多劇場

(あらすじ)
31年前に小説家の父を始め、母と三人の姉妹と、父の書生の一家が、人口1000人に満たない村に引っ越してきた。
長女は10歳で小説家としてデビューを果たし、世間から注目を受ける。そのせいか父は長女の文学的才能を嫉妬し、親の愛情をもっぱら次女の注ぐ。
一方でもともと精神的に不安定だった母は、環境の変化のせいもあって、ちょっとしたことを引き金に、自らの命を絶ってしまう。

月日は流れ―舞台は2007年の冬。父のドキュメンタリームービーを制作するために2人の男が家にやってくる。そんな時、女優として活躍している三女が、番組をドタキャンし、その後行方不明になってしまったというニュースが、一家のもとに飛び込んでくる。
(感想)
今までずっと観たい観たいと思っていたのですが、なかなか機会に恵まれず、やっと今回始めて観ることのできたナイロンの公演。いろいろと上演時間についての噂は聞いていたので、もしかしたら2幕になるのかなとは思ってはいたのですが、それでも上演予定時間が休憩込みで3時間15分というのを最初に観た時にはさすがに最後まで起きていられるのかという不安を全く感じなかったいえば嘘になります。ただ、周囲の方は平然としたもので、世間的にはこれくらいの時間は当たり前と認知されているということなのでしょうか?
その上演時間ですが、結論からいうとびっくりするくらいその長さを感じることがなかったです。作品そのものがすっと体に染み込んでいくような感じがして、とても観やすい作品だったと思います。その理由はいろいろとあるかと思うのですが、まずは映像や照明を駆使しながら、作品そのものがたいへん上手く組み立てられているということ。1幕と2幕の時間配分が、1時間50分と1時間15分だったのですが、序盤に映像や語りを上手く駆使して31年前の回想シーンがモノローグとして組み込まれているので、1幕を長短2つのパートに分けているので、長い作品にも関わらず、舞台がほとんどたるむことなく進行していきます。もちろん作品の組立てだけでなくセリフや断片の一つ一つも楽しめます。
観ている最中は話が大きく動きそうに見えて、まるでそれを意図的に避けるかのように展開していくので、ちょっと刺激が少ないとさえ感じてしまうのですが、あとからじわじわとやってくるのは、作品と登場人物の感情の色が1色に染まることなく、さまざまな感情の濃淡が繊細なタッチで描かれているからだと思います。三姉妹が仲良く手を取り合って終る1幕の最後。一見明るく幸せそうなのですが、三人の間の感情の微妙なヒビや高圧的で小心者の次女の夫の存在が暗く差し込んでいて、その明るさの中に危うさを感じます。そしてその2幕では長女の目が近い将来見えなくなるといった事実が発覚し、一転その暗さが舞台全体を覆うように見せかけて、あくまでも現実のできごとのように地に足をつけて作品が進んでいきます。この作品を観ていると、悲劇に転落したり、全てが解決してハッピーエンドに終る事も、全く予想外のシュールな展開もこの作品の着地点としては安易なもののように感じます。
話や演出だけでなく、もちろん役者さんも、一人一人がきっちりと印象に残る演技で素晴らしかったです。三女役の坂井真紀さんを始め客演の方も良かったのですが、私個人は劇団の皆さんのがんばりが目に付きました。長女役の犬山イヌコさんは大人びた少女とその子供がそのまま大人になったという女性像を鮮やかに演じています。才能に溢れてして、どんな時にも強く冷静、けど父の愛情を求めたり誰かに頼りたいする、その弱さがふとしたきっかけで見えるところが良かったです。
次女の夫役のみのすけさんは、作中唯一ともいえる根っ子から嫌な男を演じていて、抜群の存在感。この役どころ、嫌な奴というのと同時にどうしようもないくらい「弱い」という所がいい味になっています。
映画の製作スタッフ役の大倉孝二さん。おバカキャラ全開で事実上一人で笑いを持って行っていましたが、「ここまでやったら客が引く」というラインのギリギリまで行っているのに、そこを踏み越えないあたりは本当に大したもの。純粋な演技の上手さだけでなく、カンがものすごくいい役者さんなんだろうと思います。
その他にこの文章で取り上げていない役者さんもそれぞれが素晴らしかったです。こういう公演を観ると、これだから観劇っていいよなと思います。