風琴工房「砂漠の音階」@シアター風姿花伝

(あらすじ―ちらしより)
「砂漠の音階は」は実在の科学者、中谷宇吉郎の、雪に捧げた人生を凝縮したいちにちのおなはしです。
中谷たちが完全なかたちの雪の結晶をつくりあげたその日にフォーカスをあて、希望を研究したひとたちの、あかるく、すこしだけ滑稽な、胸にしみいる「その瞬間」を描きます。

史実を下敷きにした作品の場合、一体どの場面を切り取って舞台で表現していくのかというのが一つのポイントになっていくかと思います。その点では、フォーカスを当てた場所が、実験室ではなく研究室の一室を持ってきたという点が、この作品の妙。虚実を交えながらの人物配置、特に奥さんや助手や東京からやって来た学生など、女性キャストの配役が、作品のイメージを膨らませ、彩を出す上でとても効果的です。
その作品の中央に位置する、宇吉郎役の青年団山内健司さんの演技のすごさにはびっくり。青年団の公演だと周囲も凄いので、山内さん個人だけを意識して観るということはあまりなかったのですが、飄々としながらも宇吉郎の様々な顔が見える変幻自在な演技は素晴らしいのひとこと。正直、この人の宇吉郎が観れただけでも入場料の元は充分に取った気分です。
それだけに、学生役の劇団の男優さんたちの演技や台詞回しをストレートかつ大仰にしてしまったのは、山内さんや、同僚の研究者役の小高仁さんの演技の繊細さと比較するとガサツに感じてしまう部分が出てしまう結果になってしまったのが何とも残念。女性陣が軒並み良かっただけに、男性陣のベテランの客演と若手の劇団員との間の位置関係が演技面だけでなく演出レベルで何とかならなかったのかなと思います。
そういった部分に気になった点がありましたけど、作品自体は親しみやすくて、観ていて温かくなる舞台で、作品に入り込みやすい作品だったと思います。決定的瞬間も研究を学生達に任せて見守っている宇吉郎を通して、こういう教育者がもっといたらと思いますし、好きなことを続ける事のひたむきさや思いというのが伝わってきました。客席と舞台との距離が実際以上に近く感じたのは物語への共感ももちろんなのでしょうけど、研究所間の移動のシーンで中央の通路を使うという演出の効果がとても大きかったのではないでしょうか。ただ、研究室の間取りがどうなっているのか観ている最中ずっと気になって仕方がありませんでしたが。
観る人によってはアフタートークで山内さんが「前向きシリーズ」と評していた作風に出来すぎ感や拒絶反応を感じてしまうかなという気がしましたが、私個人は観終わった後にとてもいい余韻で劇場を後にすることができました。リアルさを追求して、会話だけでなく人間の悪意や憎しみや暴力性にまでそれを求める劇団が多い風潮のなかだからこそ、この「前向きさ」が貴重ですし、こういう舞台が必要なのだろうと思います。