維新派「nostalgia」@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

(あらすじ―公演の案内より)
1908年、ブラジルへの移民船、笠戸丸。
日本人少年ノイチは、ポルトガル移民のアンと恋に落ちる。
カーニバルの夜に人を殺してしまったノイチは、アンと先住民のチキノをつれて、
南米中を点々とすることとなる。
放浪の途中で散り散りになってしまったノイチたち。
彼らは再び出会うことはできるのだろうか。

テレビやDVDでは拝見したことがあるのですが、ナマで始めて観る維新派の公演。やっぱり、実際に劇場で観ると迫力も驚きも違います。
評判を伝え聞いたイメージでは大きな舞台と作りこんだセットを連想していたのですが、最初はなかなか映像は凝っているものの、セットが全くないシンプルな舞台。その分、個々の細かい動きが観れてこれはこれでなかなか面白かったです。私達が何気なくやっているサッカーやバレーボール等が維新派の手にかかると、まるで全く違った別物のように感じる不思議さと、こんな表現の仕方があるのかという発想の柔軟さにはとにかく驚きの連発でした。
更に驚いたのが、途中でセットが出てきて日本から南米にがらりと舞台が変わってしまう場面。個々は一体何を言いたいのか、私の力では良く理解できないシーンもありましたが、1人の男の波乱万丈の人生が壮大なスケールで描かれていました。
今回、ナマで観る事ができて一番良かったと感じたのが、個々の役者さん達の細かい動きまで良く観れた事。一部を除いて「個」というものが存在しない作品なので、集団の中に個々の役者さんが埋没してしまうのかと思っていたのですが、全くそんなことがなく、一つ一つの動きそのものがもの凄く磨かれていてしっかりしています。おそらく個々の役者さんはいわゆる普通の劇場に立ってもきちんとした演技のできるポテンシャルを持っている方ばかりなのでしょう。そういった方が、松本雄吉さんという強烈な個性の指揮のもと一つになる姿に、しっかりと「個」が存在しているのに「個性」を感じないという、私が今まで観た舞台では絶対感じることの出来ない奇妙な感覚を感じました。
ただ、確かにとても完成度の高い舞台で素晴らしい作品だったとは思うのですが、正直なことを言うと、私のコンディション不足もあって観ている途中とてつもなく眠くなってしまいました。一番の理由は役者さんの正確極まりない演技と独特のリズム感を刻んでゆく、テンポの正確さが、脱出不可能な子守唄のように眠気を誘ってしまったため。それが維新派の持ち味だと言われてしまうとその通りなのですが、リズム感の正確さがやがて単調さに、感動がそのうち拷問へと変わってしまうのには、正直勘弁して欲しかったです。
私にとっては頭の中でメトロノームが「すごい」「ねむい」「すごい」「ねむい」と繰り返しながらの観劇でかなりつらかったのですが、それでも最後に「すごい」の方で針が止まったあたりは素直に凄いなと思います。少なくても、ビジュアルと音楽の強烈なイメージだけは、眠かったながらも頭にしばらく焼き付いて離れそうもありません。