Innocent Sphere「獅子吼」@紀伊国屋サザンシアター

(あらすじ―劇団サイトより)
2007年。
巨大な地下空間で共同生活をする若者たちがいた。
「地上では『戦い』が続いている―。」
彼らはやがて訪れる「来たるべき日」に向けて、日々心身の修養に励んでいる。
彼らは一体何者なのか。
革命の志士か犯罪者か。それともただ闘争の果ての平和を夢想する者たちか。
まだ見ぬ敵への闘争心を抱えたまま、果てしなく続いていく平坦な日々…。

ある時、彼らはふとしたきっかけからひとつの疑問を持ち始める。
「『戦い』のためにここを出る日は、本当に来るのだろうか…。」
やがて彼らは自分たちの信念を疑い始め、動揺し、激しく混乱していく。
その時、ひとりの女が、
彼らの存在をめぐる重大な秘密を告白する―。
そして彼らは、強大な敵を相手に、最後の戦いを挑むことになる。

(感想)
10周年記念公演ということで、今まで青山円形劇場やシアタートラムで公演を打ってきた劇団が、今回はサザンシアターという比較的大きな会場に場所を移した公演。明るめのフライヤーに劇場をスケールアップさせた勝負作ということで、今回は彼らの持ち味を生かしつつ、比較的幅広い層に受け入れられるエンターテイメント性の高い作品を作ってくるのかと思っていたら、取り上げた題材は太平洋戦争の沖縄戦集団自殺というかなり重たいテーマ。奇しくもタイムリーになってしまったこの難しい題材に真っ向から取り組んだ作品になっています。
正直、作品の見せ方という点では色々と問題の多い作品だったと思います。アフタートークで作・演出を担当された西森英行さんが「戦争体験のない人間が戦争を描くために、直接的な形でなく劇中劇という形にせざるを得なかった」といった感じのことをお話されていましたが、これが作品の構造を面白くすることになった一方で、劇中劇に入るまでの話を今一つ分かりにくく、面白みに欠けるものにしてしまったように感じます。舞台が佳境に入ってくると「そうだったのか」と納得できる部分もあったのですが、導入部分の印象の悪さが作品そのものに感情移入しにくくしている大きなマイナス要因になっています。
作品の組立てだけでなく、舞台の使い方も折角のサザンシアターという会場なのにそれが上手く使いきれていない印象が。防空壕の大きなセットが邪魔をしてしまったせいで、舞台の奥行きを上手く使いこなせず、そのため実際の作品以上に舞台がこじんまりしてしまったような気がしました。
今まで書いてきたように見せ方自体にはいろいろ問題のあった作品だとは思うのですが、かと言って私の心に刺さるものや訴えかけるものがないかというとそんな事はなく、他の「上手く作られた」舞台以上に作品の力強さを感じました。それは「見せ方」には問題があっても、「見せようとするもの」を伝えようとする姿勢に真摯さと一定の説得力があったからだと思います。西森さんや役者さん達の視点は入っているとはいえ、ある特定の見解というものを決して押し付けているものではない。けど、どう捕らえるかは個人の判断として委ねるとして、起こったできごとから目をそむけずにしっかりと見据えて、この問題を自分自身で考える事や、それを次の世代に出来るだけ正確に伝えていくことの大切さを感じました。文献や史料から知る事のできない、その場の息遣いや臨場感を感じることができたのは、演劇という表現形態だから可能なことで、今回の公演はまるで自分達が演劇でどんなことを表現する事ができるのか、その限界に挑んでいるように見えました。
10周年という節目の公演に、あえてとても難しい題材に真っ向から取り組んだということは、今後の彼らの活動に対する決意表明のようなものを感じましたし、彼らの舞台に対する真剣さやマジメさというのは伝わった公演だと思います。