COLLOL「arrow−野田秀樹作『贋作・桜の森の満開の下」@王子小劇場

野田さんの戯曲は全く読んだことはないのですが、先日読んだ坂口安吾さんの本のあとがきにこの作品のことが触れられていて、面白そうだったので観にいってみることに。作品的には、野田さんのテキストを下敷きに独自の視点で再構成された作品のようです。もともとの戯曲がそうなのか、それともそういう構成にしたのかは分かりませんが、坂口安吾の小説の「桜の森の満開の下」よりもむしろ「夜長姫と耳男」がベースになっており、そこに天智天皇没後の大海人皇子皇位継承の話などのエピソードを交えながら話は進んでいきます。そういう戯曲だという知識のないままで行った私の責任なのですが、「桜の森〜」の戯曲が観たかった私にとっては「看板に偽りがあるだろう」と言いたくなってしまい、最初はやや肩透しを食らった気分になりました。
ただ、話自体は安吾の作品をもとに野田さんが書いたというだけあってなかなか面白かったです。おそらくもともとは舞台美術もかなり大掛かりで、小道具一つ一つまで具体的に作りこんで上演された作品なのだろうという気がします。それをこの公演だとモノクロームを基調にした舞台装置で道具も最低限しか使用しない形で上演しています。舞台に掛けれる人手やモノがどうしても限られる小劇場での上演ということを考えたら、上手いアプローチの仕方だと思いますし、色調を抑え目にした舞台装置と、単色を基調に色の選択を場面に応じて変えていく照明の使い方と相まって、作品の持つ幻想的な雰囲気を作りあげることに成功しています。テキストの切り取り方の問題もあって話はやや分かりづらい印象を受けましたが、前述した色彩感覚や音の使い方等、空間の作り方や絵の作り方にセンスの良さを感じます。
そんな中、役者さんの中で存在感が突出しているなと感じたのが大倉マヤさんの存在。他の役者さんも女性陣を中心にそれなりにこなしていて決して悪くはないと思うのですが、贅沢を言うと大倉さんレベルで演技が揃ってくると、作品の印象も随分と変わってきたのではないでしょうか。
作品的に残念だったのは、どんな形であれ「桜の森の満開の下」を名乗っているにも関わらず、作品の重要なキーとなる、「鬼」と「桜」という題材を上手く使いこなせていなかったこと。「鬼」をもっと上手く使っていれば物語の部分でもっと厚みがでてくると思いますし、「桜」の使い方によっては、舞台がもっと華やかで美しいものになったと思います。もしかしたら、予定調和的なものを嫌ってあえてそうしたのかもしれませんが、そのせいで作品全体の焦点がぼやけて、今回この作品で作り手が何を伝えたかったのかが、いま一つ分かりづらくなってしまったように感じます。
ただ、もともとの野田さんの戯曲が舞台で上演されなかった部分も含めて一体どんな作品なのか?今回、良かった点も悪かった点も含めて、一度じっくりと戯曲を読んでみたくなる、そんな作品ではあります。