演劇企画集団THE・ガジラ「セルロイド」@ザ・スズナリ

(あらすじ)
ゴミの山に囲まれた一室。入り口もなければ出口もない一室で、一人の若い男が血まみれの瀕死の状態で倒れている。そんな彼のもとに、その部屋に住む女と、その兄と名乗る男がやって来る。
女は彼のことを守れるのは自分しかいない、なぜなら私はあなたと同じ人間だからという不可解なことを言い出し、自分の生い立ちを語りだす。彼女は若い頃に兄や父から性的虐待を受け、それが原因で心に深い傷を負ったのだという。
そして、そんな話しをしているまさにその時に、2人の父親がやって来るのだった。
(感想)
ゴミだらけの雑然とした舞台で上演された作品です。そんな舞台のゴミの山の取りとめの無さとは対照的に、ものすごく入念に準備されよく制御された作品だったように感じます。
ゴミの山の中から様々な小道具が出てくることによって作品が次の展開に広がっていったり、役者さんの舞台の立ち位置だけで、人間関係が見えてくるあたりは、作品作りの丁寧なキメの細かさが出ていて好感が持てます。
そして役者さんの演技の方も、抑制が効いた舞台の中でも四者四様にそれぞれが役柄に応じて持ち味を出していてとても見応えがありました。演技が正統派なだけに、一見普通の主婦に見えて、強烈な歪みをのある人格のギャップが余計に怖く感じた、岡まゆみさん。理性と狂気、静と動、子供と大人と言う二面性を上手く演じていた伊達暁さん。岡さんの陰に隠れて存在感を消しつつも、ポイントポイントではツメの中に棘が刺さったような何とも嫌な存在感と引っ掛かりを残してくれた真那胡敬二さん。そして、セリフは1番少ないものの、いるだけで妙な威圧感と存在感のある大久保鷹さん。私個人は、この4人が一体どうやって絡むのか全く想像出来なかったのですけど、こうやって舞台になってみると、なるほど絶妙なキャスティングだなと思います。
作品自体は全体的にとても見応えはあったと思いますし、シナリオもよく練りこまれているとは思います。ただ、ちょっと気になったのが、脚本家の鐘下辰男さんの作品に対するスタンスです。
おそらく、この作品って親の子供の対する暴力や性的虐待に自分達は無縁で安全圏にいると信じて人達(特にこれから親になる人達)をもっとも意識して作ったのだろうと思います。そうした点では、その原因を究明するよりも、そこで起こっていることを、フィクションの中ではありますけど、ありのまま見せるということによって、私達はちょっとしたきっかけさえあればいつでもこの作品に出てくる登場人物のように成り得るというメッセージを発信することには、ある程度は成功していると思います。ただ、一方で、この作品を実際に虐待を受けた人が観たら、虐待を受けた親は、結局は自分の子供を虐待してしまうという逃げ場のない所に追い込まれてしまうのか、という救いのない気持ちにならないだろうか?という強い疑問を感じてしまいました。作品そのものの出来がとても良かっただけに、作品の中とはいえ、その辺にもう少し配慮出来なかったのかな、とかえすがえすも残念です。