沢木耕太郎「危機の宰相」

当時はまだ生まれていない世代の私なんかから見ると、昭和30年代後半の高度経済成長というのは、政治家の政策の成果というよりも、さまざまな要因がたまたまいい方向に転がった結果に過ぎないというイメージがありました。ただ、この作品を読んでいると、年10%以上の成長が続くと予測していた人間はごく少数派で、年間の成長率を予測した上での経済政策やインフラ整備のよるところが大きかった事が分かります。
この作品はそれを予測した学者、下村治と、政策として実行した首相の池田隼人、そしてその2人を結びつける役割を担った、田村敏雄、この3人について描かれた作品です。あとがきの中でこの作品は、当時の社会党の委員長を刺殺した1人の青年について追いかけた作品「テロルの決断」を書いたあとに、「一瞬の夏」を描きノンフィクションライターとしての道に進んだ沢木耕太郎さんが、もし「一瞬の夏」を描かなかったらもっと早くこの作品を書いていて政治小説家になったかもしれないという、「今はなくなってしまった、沢木さんのもうひとつの選択肢」という位置づけの作品になるそうです。
そういうことを意識しながら振り返ってみると、「もし沢木さんが政治小説家になっていたら」というもう一つの可能性を想像しながら読みつつ、そうなったら政治小説を全く読まない自分は沢木さんという作家に出会うこともなかったということになるでしょう。
ただそういった可能性のある一方で、沢木さんがこの小説で書きたかったのは、彼等の政策についてではなく3人の「人間」についてなんだろうと思いました。そう考えると、どんなジャンルであれ、沢木さんが作品を書くことで肉薄したかったのは、結局は「人間」についてであり、仮に沢木さんが政治小説のジャンルに進んでいたとしても、手法やアプローチの仕方は大きく異なっていたとしても、対象に対する目線は一緒なんだろうと思いました。
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