遊園地再生事業団プロデュース「モーターサイクル・ドン・キホーテ」@赤レンガ倉庫1号館3Fホール

体調を崩していたためにかなり遅くなってしまいましたが、28日に行った公演の感想になります。
(あらすじ)
横浜市鶴見区バイクショップを営む年の離れた夫婦。腕はいいけど愛想がない部下とともに、油にまみれになりながらも、一見すると平凡な日常を送っているように見えた。しかし、実際には大学進学を巡って演劇をしたいという娘と父は言い争いが絶えないし、元女優で年下で美人の妻に対して本当に自分を愛しているのか、夫はいつも不安に感じているし、妻は日常がどこか現実に感じられないあやふやなものを感じている。
そんな時、夫は白昼夢を見る。狂気なのか正気なのかの判然としない中で見た夢の中で、妻はドン・キホーテの戯曲の中に出てくる悲劇の女性・ルシンダになっており、そこでは戯曲の筋書き通り妻は許婚の主君の息子で彼の親友でもあるドン=フェルナンドと不本意な結婚を強いられるのだった......。
シェイクスピアセルバンテスドン・キホーテに触発されて書かれたと言われ、現在では失われてしまった戯曲「カルデーニオ」。宮沢章夫さんが現代の日本を舞台に新しい形で復元した物語。

(感想)
観終わった後に真っ先に感じた感想としては、「う〜ん、難しい。わかりにくい。けど、物語の作り出す世界は結構面白いし、ラストも悪くなかったなあ」といったものです。
ですから、アフタートークで舞台の内容についてきちんとした話をして欲しかったなあとは思いましたけど、主催者と司会の自己満足としか思えない進行で、自分の聞きたい事だけさっさと聞いて、肝心な劇の内容についての深く突っ込んだ話しがなくて本当にがっかりしました。東大の教授だか何だか知りませんけど、これだから偉い先生は.....。ハーバード大学の教授に、宮沢章夫さんに、通訳がシェイクスピア研究の第一人者というこれ以上ない位の豪華なメンバーだっただけに、うまく話しが噛みあえば、ものすごく面白い話しが引っ張り出せるに違いないだけに、余計に残念でした。
舞台を観に行く前に、途中までですけど「ドン・キホーテ」を読んでいたので、お芝居を理解する上でかなり助かりましたけど、仮にその予備知識がなければ分かりにくいのに更に拍車が掛かっていたと思います。物語のなかにシェイクスピアセルバンテスチェーホフの戯曲が当たり前のように引用されていて、そういった戯曲の文脈をきちんと理解していて始めて分かるという部分が多くて、私のように戯曲をほとんど読んだ事のない人間にとっては少しつらかったです。
シェイクスピアセルバンテスの物語を下敷きにしているためなのか、登場人物の多くが饒舌で、長セリフが多かったような気がします。そこが面白かった部分もあったのですけど、饒舌さが冗長に感じてしまったり、饒舌なシーンと交互にやってくるやたらとタメの長いシーンが少し退屈に感じたりしてしまいました。
ストーリー全体がいろいろな部分であやふやな部分が多かったので、それもストーリーが掴みづらかった理由だったと思います。ただ、そのあやふやな世界で起こる人々のさまざまな誤解やすれ違いのプロセスといったものがこの物語の大きな魅力でもあります。例えば、主人公の夫が白昼夢を観るシーンがあり、その時に劇中劇が入りますけど、その場面なども最初は白昼夢なのか、現実なのかはっきりしませんし、それが夢の中で起こった出来事だとしてもただの妄想なのか、実際に過去に起こった出来事なのか、それとも妻が劇の中で演じているだけなのか。実にさまざまなことを連想させる、思わせぶりで複雑な組立てには、「凄いなあ〜」と思わずため息が出てしまいました。こういった複雑に組立てられたシーンを積み重ねることにより、登場人物や私達を混乱の中に放り込まれてしまうのですけど、途中からは「分かんないものは分かんないままで、その分からないけど何か不思議な空間を楽しめばいいのかなあ」と思いながら観ていました。
この物語の中で、バイクやロック、ヒップホップなどアメリカを強く意識させる小道具が登場しますけど、その小道具がただの上っ面やスタイルだけを消費するものとして登場し、物語そのものはアメリカ的な「イエス・ノー、白黒、はっきりさせましょう」といった二元論的なモノとはほど遠いものです。それぞれがすれ違いながらどこか噛みあわなくて煮え切らない、そんなあやふやな人間関係を描いたあたりに、この物語が「カルデーニオ」という戯曲を下敷きにし、アメリカを意識させる道具だてを使いながらも、実は現代の日本の家族について描こうとしたものすごく諧謔に満ちた作品なのではないだろうかと思いました。
最後に主人公は家族間の問題を全て放ったらかしにして、部下と2人で長い間バイクで旅に出た末に店に戻ってきます。そんなラストになんか奥歯にモノがはさまったような部分を感じながらも、一方で私個人はそんなに後味の悪さを感じませんでしたし、何か納得できるような気がしました。結局、家族の問題を丸投げして主人公は旅に出てしまうのですけど、丸投げされたとしてもそのなかのいくつかの問題は時間が解決してくれるものがありますし、誤解を抱えながらも相手に理解してもらおうとか理解しようと努めるのは可能なんだろうと、この作品を観ていて感じたからかもしれません。
もっとも、この物語の主人公のように今の時代にドン・キホーテのような人物がいたとしたら、愛すべきだけどはた迷惑この上ないと思いますし、家族間の問題についてどこまで理解できるだろうかと疑問には感じますけど。
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