先日観たチェルフィッチュ「三月の5日間」の感想

新潮の2005年12月号の岡田利規さんの「三月の5日間」を読み終えましたので、先日観た公演の感想を書いてみたいと思います。今考えると、自分の中では、大した予備知識もなく小説を先に読まないで舞台を観たのがかえって良かったのかなあって思いました。小説は小説でもちろん面白かったのですけど、中途半端な先入観なくお芝居を観れたのがいい意味で不意打ちになってくれました。
ストーリーは一言で言えば、アメリカがイラク空爆を開始した2003年3月20日ごろ、六本木のライブハウスで出会った男女が渋谷のラブホテルで5日間を過ごす、といったモノです。男女二人がラブホテルで過ごすシーンの他に、酔っ払ってライブハウスに行く男とその友人の二人組み、その友人に映画館でキョドりまくったあげく告白に失敗して自分の部屋でテンパル女の子、反戦デモに付き合いで仕方なく参加しているやる気なさげな二人組みなどが登場するシーンがダラダラと取りとめもなく続いていきます。
芝居初心者マークの私が見ていて最初に感じたことは「これって果たしてお芝居なんだろうか」というと迷いです。冒頭は、会場のお客さんに今から始める芝居の説明を世間話のついでにしているかのように始まりますし、振り付けもあるのかないのかよく分からないでしたし....。ただ、よくよく観ていると、ダラダラしているだけのように見えてストーリーはいつの間にかしっかり進行していますし、登場人物に対しても「こいつらアホだなあ」って思いながらも、彼等の言っていることややっている事にどこか共感してしまう。そうこうしているうちにいつの間にか独特な世界にズッポリとはまってしまっていました。登場人物のことを「アホだなあ」って思いながら、「じゃあ自分はあの時なにをしていたんだろう」って思い出してみるのですけど、どうしても思い出せない自分がいる。舞台を観ている途中に、自分で目の当たりにすることも痛みを体感することもできない場所で戦争が起こっているという現実について、自分が戦争について何にも考えなくても生きていられる場所にいられるということについて、そういったことについて思わず考え込んでしまいました。
私が観ていてその他に感じた事は「言葉の使い方が何だか小説的だなあ」ということです。語彙が少なくて上手い表現ができないのですけど、まるで上手い叙述トリックのミステリー小説を舞台で観ているような感じがしました。特に私、あなた、彼(彼女)の人称の使い方が絶妙で、自分のことを独白しているのか、相手に話しているのか、それとも不特定多数の人間に語っているのか、それとも他人がそういうふうに言っていたのを聞いて別の人に話をしているだけなのか。それが、絶妙なバランスですり替わっていって独特の掴みどころのない空間を作り出すセンスというのは素晴らしいのひとことです。
更に、私の印象に強く残ったのが白い壁とシンプルな照明と影とのコントラストなビジュアルです。特に、役者さんの演技している舞台の背後の白い壁に映る影の印象がいまだに頭に残っています。
見終わってから何日かしてこの感想を書いているのですけど、思い出しながら文章を書いているとものすごい感染度の高いお芝居だったなあってつくづく思います。ちなみに小説版の方では、お芝居ではあまり触れられていなかった、スーパーデラックスで行われたライブのことが詳細に書かれているほか、舞台ではきちんと説明しきれていなかった部分が描かれています。(舞台を見た方へ。小説ではちょっとだけですけど鈴木クンもでてきます)独特な言葉づかいや、センテンスごとにダラダラと切れの悪い文章は、岡田さんらしいなあって思ったりして、小説版ならではの良さはもちろんあります。ただ、やっぱりあの舞台のインパクトにはかなわないというのが率直な印象です。観ていた時にはとても小説的な舞台だと思っていたのですけど、台詞回しは独特なモノがあるとはいえ、舞台でないと表現することのできない独特な空間であるということに、岡田さんの小説版を読んで思いました。
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