北村薫さんと杉江松恋さんのトークショーに行った話

昨日、池袋コミュ二ティ・カレッジでやっていた北村薫さんと杉江松恋さんのトークイベントに行ってきました。本当は昨日のうちに日記を書こうと思っていたのですけど、今日までに返さないといけないDVDがあって観ていたのと、今日の朝チケットを取るためにぴあで並んでいたら、ついつい面倒になってしまって後回しになってしまいました。
一応、今回は「ミステリ 読むこと書くこと」というテーマだったのですけど、ミステリーに関わらず幅広いテーマで話がありました。まず、ミステリーの読み方というよりは小説の読み方について北村さんの読書経験に基づいた話がありました。作品の引用が多かったので話が具体的で面白かったのですけど、自分の知識不足とメモしきれなかったため、全ては把握できなかったのですけど、谷川俊太郎さんの寺山修司についてのビデオレターの話から始まって、宮部みゆきさんと阿刀田高さんの講演会の話、大岡昇平の「俘虜記」について、「猫」と「雪」というテーマで書かれた阿刀田さんと樹林伸さんとのエッセイの比較等、良くいえばバラエティに富んだ内容と言えますし、悪く言ってしまうととりとめのない話がありました。その中でも特に気になったのが、前述した大岡さんの話とともに、映画の話やTVドラマの「世界の中心で愛をさけぶ」の話と絡んで出てきた話です。それは書き手の側が「言うまでもない事だから書かない」ということを読み手の側がいかに読んでいくかということです。常識というのは時代によってことなりますし、作品によってそのバーの高低が異なるのですけど、「結局読むということはシビアなことで、バーを超えられるかということで、バーがあるということは読み手にとってつらい」という話がありました。今回のトークイベントで出てきた作品の多様さと読みの深さをみていると、北村さんが作家である前に、一読者であるという小説に対するスタンスが見えてきますし、私も読者としてまだまだ修練が足りないなあって、つくづく思いました。
更に、杉江さんからの質問を受けて、作家として読み手をいかに意識するのか、言うまでもないことをいかに書いていくのかということについて自分の作品を取り上げながらの話がありました。個人的にはこの辺で作品の核心に触れるような話が聞けたらと思ったのですけど、「作品の読み方はそれぞれの読者の自由なもの」という北村さんの作品に対する姿勢もあってその辺についてはあまり突っ込んだ話はありませんでした。「言うまでもない事、当たり前の事をどこまで書いて、どこまで書かないのかは難しいですけど考えないといけない問題です。全部いってもしょうがないので、自分自身でここまで書いたと納得していくしかない」ということでした。話全体を聞いていて感じたことですけど、自分のなかでは北村さんの作品って理詰めに理詰めを重ねて作り出されたと勝手にイメージしていたのですけど、「そう書いてしまったとは言いようはない、特にセオリーはなくて内からくる欲求がある」ということや、比喩についてもあまり意識して使っていないという話があったり、結構感性や閃きによって作品がつくられている部分が大きいのだなって思いました。(もちろん作家さんの中ではという話です)
全体的な感想としては、個別の話しが面白かった反面、全体像が見えにくかったのですけど、それでも読み手と書き手の関係について考えるいい機会になりました。北村さんが作品を朗読する時のまるで落語の噺家のような語り口と、杉江さんのこわもてな外見とやわらかい物腰とのギャップが印象に残った一時間半でした。

(おまけ)今日の朝の話
ぴあのプレオーダーの抽選に外れた時点で九割がた諦めてはいたのですけど、ダメもとで大人計画の五月の公演のチケット目当てでチケットぴあに並んでみました。発売開始から僅か五分で全公演完売でまるっきりお話しになりませんでした。うすうす分かってはいたのですけどやっぱり凄いです。