蜻蛉玉「頂戴」@こまばアゴラ劇場

(あらすじ)
アツヒロと美雨は夫婦だった。今でもお互い愛し合っているのに、明日2人は離婚して離れ離れになることになっている。
今年は桜の木も花が咲かない。そんな桜を眺めながら、2人は今までの2人の思い出や、空想の世界に身を委ねる。
猫の話し、家族の話、久しぶりに会った友達の話に、そして桜の話し・・・。
思い出や空想だけでは心の中はいっぱいにならない。だから、次々とそれらを求めてゆく。・・・「頂戴」と。
(感想)
最初は客入れをやっていた作・演出の島林愛さんが小学生姿になって前説を始めたかと思うと、いきなり作品が始まります。最初が意表をつくなかなか面白い仕掛けで、さてこの後どうなるのだろうかと思っていたら、その後は恋人らしい2人が登場して淡々とかつぼそぼそと会話を始めてゆくシーンが続いていきます。最初の内は、何の脈絡もないこの展開に、正直面白いというよりは、一体何がやりたいのか良く分からずにとまどいを感じました。ただ、これが終って場面が切り替わっていき作品のリズムにある程度慣れてくると、現実とも思い出とも幻想ともいえない作品を包み込む空気に取り込まれたような感じになり、言葉選びのセンスの良さと、セリフとともに役者さん達が発する音のリズムとの面白さとに魅了されました。特に、一見するとメルヘンチックな肌触りなのですけど、時折見せる妙に醒めていて大人びたセリフの鋭さには思わずドキリとさせてくれます。
お互い愛しあっているにも関わらず別れないといけない2人の苦い気持ちや切なさもよく描けていますが、個人的にはもう少し深みがあった方が良かった思います。所々で見せる大人びた雰囲気がもの凄くよかっただけに、その隙間から幼さが出てしまったように感じたのが少し残念でした。それでも空間作りといい、言葉選びといい、作品にものすごくセンスの良さと優れた才能の持ち主だということが見受けられます。今回、「幼い」と感じた部分も島林さんを始めとした劇団の才能の問題ではなく、若さゆえの人生経験の足りなさの問題なんだろうと思います。早熟の人間特有の、多感で繊細な感性の持ち主なだけなのか?、それともさまざまな経験とともに感性の鋭敏さに表現の深みが加わってゆくのか?もし、後者だとしたら・・・本当に末恐ろしい才能の持ち主だと思います。
もし5年後、10年後のその時にまだ私が劇場通いを続けていて、彼女達が作品を上演し続けていたとしたら、一体どんな作品を作っているのか・・・それを観てみたい気がします。