青年団「ソウル市民三部作」@吉祥寺シアター

(あらすじ−公演の案内より)
・ソウル市民
1909年、夏。日本による朝鮮の半植民地化、いわゆる「韓国併合」を翌年に控えたソウル(当時の現地名は漢城)で文房具店を経営する篠崎家の一日が淡々と描かれる。
日本から後妻に入り、いつまでも朝鮮の生活になじめない母。
自分が何をやりたいのか分からない長男。
文学に青春の情熱を燃やす長女。
日がな一日、何をやっているのか分からない書生。
とりとめのない話を延々と続ける女中たち。
そんな篠崎家に様々な客人たちが現れる。

・ソウル市民1919
1919年3月1日、ソウル(当時の呼び名は京城)。篠崎家の人々は、今日も平凡な一日を過ごしている。ただ、今日は少しだけ外が騒々しい。噂では、朝鮮人たちが、通りにあふれているという。
おりしも相撲興行の一行が到着し、応接間は賑わいを見せる。
オルガンの練習に興じる娘たち。
米増産の標語に頭をひねる書生たち。
しかし、この間にも少しずつ、この家から朝鮮人が姿を消していく。

・ソウル市民昭和望郷編
1929年10月24日、ソウル(当時の呼び名は京城)。篠崎文房具店にも大衆消費社会の波が押し寄せ、新しい経営感覚が求められていた。
この家に長女に求婚したアメリカ帰りの新進経営者。
精神を病んで入退院を繰り返している長男。
総督府に勤めながらも朝鮮人エリートとして植民地支配への協力に悩む書生。
通り過ぎる謎の若き芸術家集団。
つかの間の饗宴を楽しむかのような、一群の若者たちの姿を鋭く描いた、ソウル市民三部作の完結編。

(感想)
映画も含めて、3本連続で鑑賞というのは始めてです。そのせいか、最後の方は頭の中がグチャグチャになってしまい1本ごとの感想が書けなくなってしまったので、3本通しで観ての感想になります。
年代順に3本通しで観ていたのですけど、最初の2本と最後の「昭和望郷編」とでは、作品のトーンがちょっと違っていたように感じましたけど、それでも作品の底に通底する世界観は確固なものがありました。舞台の上で起こっていることはかつての朝鮮で暮らしているある家庭の一部屋で起こったできごとに過ぎないのですけど、その家族に起こっていることを描く事によって、その背後にある人間関係だけでなく、当時の世相や歴史背景といった大きな世界が見えてくるのには驚かされます。
1本ずつの独立した作品としても、それぞれ充分に楽しめる作品でしたけど、入れ替えの後に会場に入るたびに舞台のセットが微妙に変わっていき、それが時間の流れを上手く現しているのと同時に、劇中の所々のポイントとして使われていくのが、観ていて楽しかったです。
ただ、一気に観てしまうと、前の公演であるキャストを演じていた役者さんが、次の公演では微妙に別のキャストを演じてしたりして、ただでさえ複雑な人間関係に拍車が掛かる結果となり、観ている側の混乱のもとになってしまっています。確かに一つ一つ独立した作品として成立しているのですけど、3公演通しで観ることを想定した公演である以上、多少はキャストに整合性を持たせる配慮が欲しかったように感じます。
それでも、それぞれ独立した作品として観た場合、随所に深いテーマを内包しながらも、純粋なエンターテイメント作品としても思いのほか良く出来ています。青年団というと自分の中ではどこか生真面目なイメージがあったのですけど、特に最後の「昭和望郷編」は思いのほかコミカルな作品でした。かといって役者さんそれぞれが自分の配役を飛び越えて自己主張した笑いというのは皆無で、与えられた役柄の中でしっかりと演技をした上で成立している笑いです。
作品はこういったテーマを扱っているだけあって、もちろんコミカルな部分だけでなく、シリアスで重いテーマも扱っています。特に、何気なくサラッと流れるセリフに日本人の朝鮮人への悪意のない差別感情や、自分の置かれている状況や国際状況に対する無知さなどが描かれていて、平然としている分だけ、それが何とも言えない怖さを感じさせてくれました。戦時中の戦犯問題について、彼等に責任に押し付けて自分達を必要意外に被害者に置いてみたり、「一億総懺悔」ではないですけど責任を曖昧にしたりしたがる人達に対して抱いている違和感に対して、しっくりくる答えを考えるきっかけになりました。ただ、このことが、私達観客から観たら違和感があっても、舞台上では当たり前のこととして平然と行われているという図式が、この作品の一筋縄ではいかない所です。そのことは観客として観ているから分かる事で、私達も知らず知らずのうちに、どこかで悪意も意識もない加害者になってしまっている。そんなことを意識させる作りなだけに、彼等のことを無知だと責めたり嗤ったりすることは安易には出来ません。
過去の歴史についてさまざまなことを考えさせてくれるだけでなく、舞台のいろいろな部分の面白い要素やさまざまなテクニックが、実に多様な形で詰まった素晴らしい公演でした。