リュカ.「vocalise【ヴォカリーズ】」@王子小劇場

(あらすじ)
マンションの一室で会話をする姉妹のもとに一人の男が訪ねてくる。彼は、付き合っている彼女からパーティーに誘われ、この部屋に来るようにと言われたらしいが、姉妹には全く心当たりがない。
男が持っているメモを頼りに調べてみると、そこに書かれていたのは隣の部屋の住人の名前で、どうやら部屋番号を間違えて教えられたらしい。
そのころ隣の部屋では、その部屋に住む夫婦と、その友人達とが集ってすでにパーティーが始まっていた。そこで、友人達は夫妻が別れる事、そして夫がヨーロッパに行って二度と戻ってこない事を告白される。すでにそのことを知っていた者、知らずに立ち去ろうとされたことにショックを覚える者。もう決まったことだと淡々と話す夫に、それを受け入れる妻。そんな重苦しい雰囲気の中、間違えて隣の部屋に行った男が、その部屋を訪れるのだった。
(感想)
中央にひな壇のような舞台があり、それを挟んだような形で客席があるという随分変わったセッティングで、シンプルながらも洗練された雰囲気の照明やインテリアとともに、劇場に足を踏み入れた瞬間、日常とはちょっと違った空間に踏み込んだ感じになります。そこで繰り広げられたのは、そんな雰囲気にピタリとはまった美しくも静かで、それでいてふんわりと包み込まれるような世界。
冒頭の部分が少し分かりにくかったこともあり、作品の世界に入るのに少しだけ手こずりましたけど、一度馴染んでしまうと、その独特な空間に引き込まれていきます。その空間と、一見するとさりげなく見えてもの凄く練りこまれている会話がものすごく心地いいのですけど、そこでとり扱われているテーマはかなり重く切実です。
マンションの住人・シュウは実はガンで持ってあと半年の命として宣告され、そのために残りの余生をヨーロッパで過ごそうと思い立ちます。それは、本人なりに妻や友人のことを考え、迷惑を掛けたくないからなのですけど、妻や友人達から見たら理由も告げずに分かれることへの悲しみや怒り、残りの人生を一緒に過ごせないやりきれなさを感じてしまうものであり、お互いがお互いを思う気持ちがどこまでもすれ違っていきます。前作の「White phase」を見たときにも感じたのですけど、人と人との思いのすれ違いとか、他人を理解することの難しさを、人物一人一人まで丁寧に深くまで掘り下げながら、実にきっちりと描いていく作品作りをするなと思います。そして重いテーマを扱いながら、どこか舞台の空気が暖かいのは、人と人とが分かり合う事は難しいけど、私達にはどこかにそれを乗り越えていく力があるという、祈りや願いに近いものがこの作品の中に込められていたからのように感じました。
全体的にセリフだけでなく、演技の面でもデリケートだと思えるくらい作りこまれていて良く出来ていた舞台だったとは思いましたけど、一方で気になった点も少し見受けられました。特に気になったのが、デリケートに作りすぎてしまったため、ちょっとした物音に対してものすごく弱いなと感じたことです。ピタリとハマっている時は素晴らしいのですけど、役者さんが入ってくるときや、セットの入れ替えの時や、お客さんが物音を立てた時、こういった時に他の舞台以上に気になってしまい、折角の緊張感が壊れそうになってしまう危うさを感じました。それと、演技をしていない時に役者さんが舞台の脇の椅子に座ったり、舞台のソデに引っ込んだりして、役者さんの舞台の出入りが激しい舞台だったのですけど、それが慌しさを感じるほど効果的に機能していないように感じました。舞台脇に待機する時と、ソデに引っ込む時との基準がいま一つはっきりせず、そのために観ていて分かりにくく感じた部分があったのが残念でした。
ここからは、私事の話しになってしまうのですけど、この舞台を観に行く直前に、入院していた知人がガンで亡くなってしまい、私はその人がガンだったことを亡くなるまでずっと知らなかったという事がありました。ですから、この舞台に出てくる話しが、その事と重なってしまい、平静な気分でこの舞台を観る事ができなかった半面、彼等に対して共感できる部分がとても多かったのも事実です。
「何で教えてくれなかったんだろうか?」という悔しい気持ちと、「伝えない事がその人の意思だったのなら、その人の納得いくようにやらせてあげてよかったんじゃないだろうか?」っていう気持ちとが自分の中でいまだに相半ばしています。
ですから、お互いがすれ違いながらも、最後には自分の思いを伝えられたシュウや彼の妻や友人達って幸せだったんだろうなって思います。