村上春樹「意味がなければスイングはない」

このエッセイを読み終えて「さて、この本の感想をどう書いたらいいものか」と考えていて真っ先に思いついたのは「音楽を言葉にすることの難しさ」についてなのですけど、そう思ってあとがきを読んでいたら、似たようなことを書かれてしまい、困ってしまいました。ただ一方で村上さんみたいな人でも、音という本来言葉ではないものを文章に置き換える作業というのは思いのほか難しいんだなあ、とも思いました。それはあとがきで作者がそういってたからということもありますけど、エッセイのなかにも現われていると思います。
このエッセイ集には音楽についての10のエッセイが収められています。もともとはステレオサウンズという雑誌に連載されていたものでおそらくは連載された順番で収録されていると思いますが、最初の文章と最後の方の文章を比較すると明らかに後ろにいったほうの文章の方が面白いです。おそらくは、最初のうちは、村上さんの中でもどういった切り口で書き、どのように音楽を表現していったらいいのかはっきりとしない。そんなと迷いのようなものを作品のなかに感じてしまいます。全編を通じて、嗜好うんぬんは別にして作者が音楽の良質な聴き手であることは随所にうかがえます。ただ、最初の方は「いい音楽」と「好きな音楽」との境界線がものすごくあいまいで、おまけに音楽に対して妙に理屈っぽい部分があります。これだったら能書きが多いばかりの一部の音楽評論家の書くレビューと大してかわらないじゃないか。村上さんが書いた音楽エッセイってことだったんで期待していたんだけど、と途中までは文句を言いながら読んでいました。
ところが、そう思っていたら中盤くらいから少しずつ良くなってきて、後半のウィンストン・マルサリスあたりになると妙に面白い。作者は彼のことを「退屈」とか「底が浅い」とか言いながら、それでも「右から左へと聞き流してしまうことができない」と書いています。こういうのを読んでいると「音楽的に瑕があろうと、私はマルサリスのことが好きなんだよ、文句あるのか」というような、いい意味での開き直りや潔さ、そして音楽に対する愛情といったものを感じてしまいます。
村上さんの音楽の嗜好と一緒で、ある程度は自分の好みの問題なんでしょうけど、そういったわけで、私はこの作品は前半よりも、圧倒的に後半以降のエッセイの方が好きです。最初からこの調子でやってくれたら、一度途中で本を投げ出すこともなく最初から一気に読み終えることができたのになあって、作者に対して少しだけ逆恨みしてしまいました。
ISBN:4163676007:DETAIL