私にしては珍しく気合を入れてチケットを取った、キャラメルボックスの「賢治島探検記」の公演を来週見に行く予定なので、これを機会にそれまでに新潮文庫宮沢賢治の作品を三冊読もうと思い、先月末から読み始めています。今日ようやっと2冊目を読み終えたのですが、作品が情けないくらい頭に入らない。家で読んでいる時にはそうでもないのですが、通勤電車のなかで読んでいると、賢治の作品の情景が見事なくらいイメージできません。そもそもそういう状況になるのがうすうす分かっていながら、こういった変な目標をたててしまったのが失敗だったのかなぁ、と今になって少しだけ後悔しています。ここまできたら、内容が頭に入りきらないのを承知で最後まで意地を通して読みきるのか、それともスパッとあきらめて溜まっている別の本を片付けるのか、少し思案のしどころです。他人のためならいざしらず、自分のくだらないこだわりのために、選択の幅の狭くして息苦しい思いをするのはご免ですし、かといってこんな機会でもない限りは、おそらく今後数年間は彼の作品と接することはないかと思うと、私にとって賢治の作品が読まれるべき機会というのは確かに今以外にはないようにも感じてしまうのです。
更に困った事には、賢治の本を読んでいたらふと楽園について考えてしまい、そこから飯嶋和一さんの以前読んだ小説の一説を連想しまったがために、その作品を並行してまた読み返すハメになってしまったことも、私にとっては大きな誤算でした。そもそもそんなことを思い出してしまったのも、先週号のR25にその本の作品紹介が乗っていたせいです。個人的に大変好きな作品なので紹介が載ったこと自体はとても嬉しいのですが、どうしようか考えているうちに、こんなしょうもないことのせいで、時間と決断の機会が過ぎ去ってしまうかと考えてしまうと、なんともいえず情けない気分になってしまいます。まずは作品を購入するのが先決だ、ということで帰り書店に寄って本だけは購入することにしました。その先は一晩寝て考えようか、と思っています。

「ええ、確か“ニライカナイ”とかいう、沖縄で昔信じられていた海の向こうにある幸福の国のことらしいですよ」
『お前の生まれた島にも、そんな理想境の伝説があるのか』
「……さぁ、おれは知らないですね」
『そういう伝説は、たぶん、ないほうがいい。それだけ、現実の生活が厳しかったんだろう。そういう楽土を心のなかで持たなきゃ生きていけなかったんだろうからな』
飯嶋和一「汝ふたたび故郷に帰れず」より