中沢新一「アースダイバー」

猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に時間の作用を受けない小さなスポットが飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。
そういう時間の進行の遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文時代における海に突き出た岬ないしは、半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に強い霊性を感じていた。そのために、そこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。(「アースダイバー」より)

縄文時代の東京は一体どこまでが陸地で、どこまでが海面だったのか、それを調べるために古くから陸地であった洪積層と弥生時代以降陸地になった沖積層に地形を分けて考えてみる。ここまでなら、地質学や考古学に少し興味がある人なら、かなりの人が考えるでしょう。しかし、それを現在の場所とつなぎあわせて考え、縄文文化弥生文化との違いから、今の東京の街が作られていった過程や、その街のありようについていく、という考え方はとても新鮮で、本作の場合、アイディアの勝利といっても過言ではありません。その発想自体がとても面白いだけではなく、実際に作者が現地を歩いて、それをもとに張りめぐらされる思索の過程も面白く、東京を舞台に文字通り知的な冒険をしています。ただ、その結果見えてくるものが、死、性、霊、神、無意識といったキーワードで、そこから見えるものは東京という街に対する明確なビジョンではなく、東京の街に潜むいかがわしさやうさんくささ、といったものです。何だか途中でミステリーサークルや心霊スポットの特集を読んでいる気分になってしまったのは、自分の読み方が悪かったからというだけでは決してないと思います。なぜなら、読み手が本作のなかに、こういったうさんくささやいかがわしさを感じるのは、作者もある程度織り込み済みだと思うからです。

近代はこう考える。人間は人間の世界のことを、自分で判断して決定していくことによって、まちがいのない方向に導いていくことができる。心の中の地下世界にうごめいているような無意識にひきずられてはいけない。政治でもなんでも、暗に、見えないところで決定されたものは、みんな間違っている。あらゆるものごとは、意識の光のもとにひっぱりだして、情報はすべて公開して、ただ理性の力だけによって判断していけば、いつだって人間は正しい方向に進んでいける、とこう考えて非合理なものや無意識なものを否定しようとしてきた。(「アースダイバー」より)

本作が何にでも理性や合理性を求める近代社会に対するアンチテーゼとして、東京という街の非合理や無意識にあえてスポットライトを当て、それを積極的に捉えることよって東京という街について新たな考察を加えていこうという意図で書かれていることからも、そのことは明らかなのではないでしょうか。
しかしそうは言っても、本作を読んでいると東京という街について、江戸時代より前の史料が著しく不足していたりする制約があるために調査が不十分だったり、無意識という都合のいい言葉を使って、いまある街の現状に基づいて都合よくあとづけで説明しているだけではないかと思える部分があるのは否めません。結局、本当の意味で本作を評価するためには、地図を片手に実際に街を歩いてみて、作者のように街を体感できるのかどうか体験してみる、それに尽きるのではないでしょうか。そして、もし少しでも体感できれば、本作は私達にとって東京という街について新たな発見にいざなってくれる一冊になってくれるのでしょう。
それを、知りたいから本作を片手に街を歩きたいのですけど、それができないというのがなんとももどかしいです。
ISBN:4062128519:DETAIL