[舞台]遊園地再生事業団「ニュータウン入り口」@シアター・トラム

(あらすじ)
ニュータウンの分譲地の一戸建てを購入しようか悩んでいる夫妻。不動産屋の話だとこの場所は眺めがよくて駅から近いし、都心に出るのも便利。おまけに生活に必要なものがなにもかも揃うという素晴らしい場所とのこと。ただこの土地の過去にどんな因縁があったのか、土地に磁場のようなものを感じるという。おまけに「ダンス同好会」という怪しい集団までいるらしい。
そのころ、ある兄弟がこのニュータウンにやってきた。彼等の目的はいなくなってしまった長兄を探す事。そのため2人はこの街の人間になりすまし働くことにしたのだが・・・。
(感想)
少なくても私の知る限り、宮沢章夫さんの作品というのは難解でよく分からないという印象があるのですが、今回もやっぱり完全にはよく分かりませんでした。特に前半部は、断片的なパートがつながりを持たずに細切れのようになって進行していくのでなおさらです。ただ、本公演の前に、リーディング、プレビュー公演を重ねて入念に準備されたこともあって役者さんの動きは見事。手つきや身振りの一つ一つにまでバリエーションと意味づけを行おうという姿勢が見えていて、それが様々な動きとなって舞台に反映されていきます。ですから、筋が分からなくても役者さんの動きや言葉のやり取りを観ているだけでも充分に面白かったです。ただ、1年前の舞台を観始めてから間もない自分だったら眠ってしまっていたかも。後日上演台本を読んだり、ちょっと調べものをすると、この作品の背後にある部分の奥深さというのを感じたのですが、舞台上で演じているのを観ているだけでは理解できなかったり、そこまで読み込みきれなかったり、見落とさざるを得ない所があまりにも多いように感じます。確かに自分の舞台を読み解く力の欠如と言われれば、返す言葉がないのですが、それでも舞台上で表現すれば観客が理解できるものをあえて語らないことによって作品の敷居が上げられているような気がして、作品作りの姿勢にあまり好感が持てませんでした。今まで私が観た宮沢さんの作品は分からないものを分からないままでもいいと思わせる作品の「強度」というものがあったと思うのですが、今回は作品のパーツパーツはとても楽しめたのですが、実は「分からない」という部分を「語らない」という部分に上手くすりかえただけで、脚本そのものはそれほどの強さを持っていないのではないかという疑問を感じました。それでも私にとっては充分すぎるくらい難解な作品でしたが・・・。
これは全くの私事なのですが、劇中で再三映像で流れていたニュータウンの映像の風景がどこか見覚えがあるけどどこだっただろうかと観劇中ずっと引っかかっていたのですが、アフタートークで南大沢という話を聞いて納得。昔、その界隈に住んでいた友人の家によく遊びに行ったことを思い出し、懐かしかったです。

(おまけの感想)
観終わった直後は、この話は個人と、時間と場所との抜き差しならない関係を描いていると思っていました。確かにそういった側面もあるかとは思うのですが、劇場で買った上演台本を読んだり、Wikipediaでちょっと調べ物をしているうちに、実はこの作品は今のエルサレムのことをニュータウンという場所やそこに住んでいる人達に落としこんで書いているのではないかという気がしてきました。そう考えると、長兄を探す兄弟の2人はパレスチナ原理主義者と宥和主義者とのせめぎあいを象徴しているように感じますし、2人を取り持つ鳩=平和の象徴が見るからにまがい物くさい役柄なのは、その皮肉のたっぷりさともども肯けます。うっすらと憶えていたのですが、劇中で出てくる「マイム・マイム」ももともとは開拓地で水を掘り当てて人々が喜ぶさまを踊ったイスラエル民謡ですし。
更に、そういう風に考えていくと面白いと感じたのが、ひたすら石を埋める男・Fの存在。若松武史さん演じる旧石器捏造事件の当事者をモデルにした男が、ただの狂言回しの立場だけなく、ニュータウン(もしくはエルサレム)が建造される前にもその土地に歴史があることを喚起するもの、過去の歴史を改竄するものでもあるという重要な位置づけを担っているように感じ、何とも面白かったです。