バズノーツ「バズノーツのマクベスPPR」@こまばアゴラ劇場

わかりやすいマクベスのあらすじ〜公演のチラシより

十一世紀、スコットランドの勇将マクベスは、城への凱旋の途中に魔女に出会い、「将来、王座につきお方!」と予言される。忠臣として期待されていた彼の中に野心が芽生え、夫人にもそそのかされてついに王の殺害を決行する。
王座を奪い、自らの反対勢力の口封じを行う中、国内の諸侯の心はマクベスから離れていき、マクベス夫妻は孤独な立場に追い込まれていく。一方、イングランドの王に庇護を求めた前王ダンカンの息子マルカムは打倒マクべスの兵を挙げる。

(感想)
当初、キャストが多数となっていたのが体調不良のため4人しかいなくなり、その中で何とかマクベスを上演しようとする、そんな設定で舞台が始まっていきます。この本気にしては唐突すぎ、仕掛けにしては中途半端な状況に何と反応していいのか最初は戸惑いましたが、どうやらそんな状況に観る側を引きずり込むための仕掛けのようです。4人の役者さん達の背後には日めくりカレンダーみたいな紙があり、それを1枚めくるごとに配役があり、その役を演じるという形で舞台は進行していきます。マクベスは戯曲しか読んだ事がなかったのですけど、戯曲を読んでいる限りでは、それなりの数の役者さんやセットが必要になってくるように感じるのですけど、とことんまで切り詰めていくとひな壇のようなシンプルな舞台と、役者さん4人プラス、制作スタッフのような形で登場しながら、時折舞台に介入する作・演の増田理さんの5人で作品として成立してしまうという発想は、言われてみれば「なるほど」と思えるもので目から鱗の発想でした。配役をとことん切り詰めたためにマクベスを演じていた役者さんが別の配役を演じ、別の役者さんが演じたマクベスと相対するといったシーンも発生します。こういった紙切れ1枚でそれを当たり前のように配役として演じていくスタイルを観ていると、脚本というものがあってそれに沿って当たり前のように役柄を演じている演劇っていうものが、実はかなり不自然な表現形態だということを改めて気付かせてくれます。その作品って従来の脚本と配役の関係の枠組みと言うのをいい意味で壊してくれる作品だったと思います。
とてもユニークなアプローチで料理していてなかなか面白い公演でしたが、面白かったがゆえに惜しいと感じたことは、やっていることが凄いということは良く分かるのですけど、観ている側にはそれが今一つ伝わりにくいように感じたことです。マクベスという戯曲をどこまで知っているかによって面白がりかたが随分と違ってしまう性質の作品ということを意識しすぎたために、マクベスの脚本の原型をどこまで留めるかという部分が中途半端になってしまったように感じました。個人的には、増田さんがもっと作品に介入したり、もっとアドリブを多用して作品をシェイクスピアの作品とは全く異なった着地点に落としたほうが面白かったですし、この作品で見せたアプローチの凄さが出たように感じました。
アイディア自身はとっても興味深いですし、掘り下げていくととんでもない作品ができる可能性を感じさせてくれた作品だと思います。ですから、次の公演でどんな作品を作ってくるのか、なるべく早く見せて欲しいと思います。