歩いていたら自転車に轢かれかける。電車に乗ったら事故で遅れた上に駅員に腹の立つ対応をされる。仕事をしたら細かいミスを連発する。気分転換にゲームセンターに行ったら、ゲーム機の料金の投入口にトラブルが発生してしまったため、いくら百円玉を入れてもゲームが始まらない。おまけに芝居のチケットを取るために電話をしたら、わが家の電話機がトラぶってしまったために、目当ての公演日のチケットの予約が終了してしまう。先日も日記に書きましたけど、ここ2、3日全くといっていい位ツキに見放されています。
けど、よくよく考えてみたら「ツイている」とか「ツイていない」という考え方は、どこの時間を切り取るのかによって随分と変わっていくように思えます。確かにここ2〜3日は大惨事にこそなりませんでしたけど、どうしようもない位にツキがありませんでした。でも、2,3日という時間のスパンを2週間に変えてみる。そうすると、イベントにも行けたし、売切れてしまったせいで沢山の人が見れなかった舞台を見れましたし、仕事も大過なくこなすことができましたし、もしツキに収支決算があるとしたらそんなに債務超過にはなっていない、そう思えてしまうのですから不思議です。結局の所、今、目の前で何が起こっているかも大切ですけど、それ以上にそれをどういった角度で見るのか、そしてどう受け取るのか、それによってその人が楽しく生きていけるのどうか随分と変わっていくような気がします。本を読んでいると、江国香織さんや、川上弘美さんのように自分だったら簡単に通り過ぎていく日常のひとコマを鮮やかに切り抜く作家さんがいますけど、そういった人の文章を読んでいると「この人達の半分、いや10分の1でいいからそういったものの見方ができる豊かな感性が欲しい。そうすれば自分ももう少し楽しく人生を過ごす事が出来るのに」と思えて仕方がありません。
しかし、こうやって言葉にするのは簡単ですけど、現実にそういったモノの見方をするのは本当に難しい。今だって、一度書いた日記を全て消してしまい、「自分は何て可哀相なやつなんだ」と思いながら、この日記を書き直しています。