小川洋子「博士の愛した数式」

自分が記憶を持っているということ。それは、自分自身が存在することを証明する手段の一つなのかもしれません。この作品の博士のように、17年前から80分の記憶しか持つことができなくなってしまったとしたら、本当は17年間の時を過ごしているのに、その人にとって存在している時間は80分しかないことになります。しかし、彼の周囲を取り巻く人間から見たら、その時間はまぎれもなく存在するものであり、それを共有できないという事実は、彼らに残酷で悲しい結末を突きつけるしかないのでしょう。その点では確かに本作にも、そうした悲しい側面はあるのですが、物語全体を支配するのは哀しみよりも、むしろ暖かくて、美しくて、静かなトーンです。悲しい物語にも関わらず、こうした心地よい空間をつくりあげたことが本作が多くの人に読まれることになった一番の理由なのではないでしょうか。そして、この雰囲気を作り上げることに成功したのが、母子の博士への愛情と、数学と、阪神タイガース、この三つです。
例えば、あくまでも個人的にですけど

私は一つの数字にはっとした。江夏の背番号は28だった。大阪学院を出てタイガースに入団する際、球団から提示された三つの背番号、1、13、28の中から彼は28を選んだ。江夏は完全数を背負った選手だった(「博士の愛した数式」より)

という部分が私は好きです。江夏豊の背番号、完全数、どちらも言葉の意味は知っていますけど、一見すると何の関係もない二つの言葉です。それが数学を仲立ちにすることによって、こんなにも素敵な発見につながっていく。これはあくまでもその一例で、本書にはこうしたさまざまな発見が散りばめられています。それは数学があまり好きではない私でさえ、数学に対して敬虔な気持ちを抱かずにはいられなかったほどです。


といった形で、その他にもいろいろと書こうかと思っていたのですけど、藤原正彦さんのあとがきを読んでいたら途中でイヤになってしまいました。この作品の魅力を過不足なく伝えているだけでなく、この作品の裏話まで書かれているのですから。このあとがきが読めたという点では文庫になるまで待っていてよかったなあと思いますけど、「こんなに面白いんだったらもっと早く読んでおくんだったなあ」と後悔している自分も確かに存在しており、読後感とは対照的に何とも複雑でにがにがしい気分になってしまいました。
ISBN:4101215235:DETAIL