森達也「悪役レスラーは笑う」

「ドキュメンタリーは客観的な事実の積み重ねではなく、主観的な作業である」というスタンスで、既存のドキュメンタリーとは一味違った切り口から作品を発表している森達也さん。今回は、力道山が活躍した時代のプロレスで、稀代の悪役レスラーといわれたグレート東郷の生涯を追いかけた作品です。自分もそうですけど、作者もかなり年季の入ったプロレスファンですね。ファンでないと分からない、プロレス技や団体の話が大した説明も注釈もなく随所に入ってくるので、個人的にはたまらない反面、そうでない人が読んでも内容がきちんと理解できるのか、他人事ながら心配になってきます。
「リング上でもプライベートでも忌み嫌われた東郷に対して、なぜ力道山だけは異常とも思えるくらい敬意を払い、気を遣い接したのか」、その謎についての理由を作者は東郷の出自に求め、真相を追いかけていきます。この過程はプロレスとナショナリズムとの問題を強引につなげてそこに引きずられていっているような気がしますけども、取材をすすめるうちに生存する当事者の不在、資料の不足から、作者の仮説を肯定する証拠も、否定する決定打も出てこず、結局真相ははっきりとしないまま行き詰まってしまいます。
ドキュメンタリーやノンフィクション作家の力量を問われるものの一つに、「分からなかったことをいかに書くか」といったことがあります。分かっているものを組み合わせて最も蓋然性の高い仮説を導くのか、それとも、分からないものをありのまま分からないと書くことによって、そこにある謎の大きさや闇の深さを強調するのか。正直、本書を読んでも、グレート東郷というレスラーの人となりについては、明らかにならず、所によってはかえって謎が深まったといえる部分さえあります。ただし、それによって、プロレスの虚と実のあいまいさゆえの魅力や、皆に嫌われながらも引退してからもプロレスラーを演じ抜いた、東郷という男の矜持が垣間見え、ドキュメンタリーとしては面白い作品になったのではないでしょうか。
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