最近の中国の反日デモのニュースを見てちょっと感じたこと

マスコミで報道されている通り、中国政府の責任というのはあると思いますが、それと平行して感じたのが、この問題の引き金になった教科書問題についてです。戦争に参加した人間達が「果たして、第二次世界大戦とはどんな戦争だったのか」ということをあいまいにしたままにして、公式の場で、明確に相対化してこなかったツケを、今になって払わされているような気がしてなりません。だから、中国に歴史問題を指摘されてもきちんと答えられないですし、デモに対してきちんと抗議できないのではないでしょうか。何故、急にこんなことを書き出したかと言いますと、ふと、以前読んだ、村上春樹さんの本の一節を思い出したからです。

結局、日本のいちばんの問題点は、戦争が終って、その戦争の圧倒的な暴力を相対化できなかったということですね。みんなが被害者みたいになっちゃって、「このあやまちはもう二度とくり返しません」という非常にあいまいな言辞に置き換えられて、だれもその暴力装置に対する内的な責任をとらなかったんじゃないか。
河合隼雄村上春樹村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

本書を読んでしばらく経っているのですが、学生時代、私が漠然と感じながらも上手く言葉にできないでいたことを、実にうまく表現してくれている言葉だったのでいまだに覚えています。靖国神社の参拝問題や、東京裁判の問題にしても、この言葉と取っ掛かりにして考えると、なかなか面白い見方ができます。
村上春樹さんの「ねじまき鳥クロニクル」を読んで、その作品世界の素晴らしさに引き込まれながらも、唯一釈然としなかったのが、私には、この作品で、氏が「暴力」を十分に相対化出来たとは、どうしても思えなかったことです。