意識と認識

先日、桜について日記に書いていたら、桜のことを自然と意識してしまい、よく桜を見かけることになってしまいました。別に、桜の場所が変わった訳ではなく、自分が桜を見る見方が変わったということでしょう。哲学とか難しいことはよくわかりませんが、「物事というのは認識されることによって、始めて存在するのだ。」ということが、なんとなく実感できました。
一方で、認識していなくても、意識せざるをえなかったのが今日のテレビです。朝、最初にテレビをつけたら、いきなり、みのもんたのどアップ。会社から家に帰って最初にテレビをつけたら、また、みのもんたのどアップ。別に、みのもんたのことが嫌いなわけではないですが、なんか、胃の中が脂っこくなったような気分になってしまいました。夢の中にまで出てこないことを切に祈るばかりです。