奥泉光「石の来歴」

太平洋戦争時のレイテ島で生死の境をさまよった際、戦友に岩石の話を聞かされてから、とりつかれた様に岩石に魅せられた男。戦後、家庭も仕事も、趣味も順調に推移していたように見えたが、長男の死を境に、彼に苦難が訪れる。
現在と過去、現実と幻想が入り混じる物語にもかかわらず、文章自体比較的読み易いのは、作者の文章力ゆえでしょう。平易で過度な装飾はないのですが、比喩が適切で、言葉が奇麗で品があります。
岩石と、それに魅せられた男とを対比させることにより、一見して堅固に見える人間のこだわりや妄執と言ったものが、実はとてつもなく小さなものに過ぎない、と言っているように思えます。文章中の、「あんたが言ったことは常識さ。もう何十年も前から知られていることばかりだ。早い話が何百円かの金さえあれば本を読んで分かる無いように過ぎない。」と言う一節は、自分が長年こだわっていたものが脆くも崩れていってしまうようで、他人事とは思えない怖さを感じました。それでも、そうしたこだわりを昇華させて、自分なりに決着をつけるのも人間なのでしょうか。
本作品には、芥川賞を受賞した本作品の他に、死んだ父親が故郷に葬られたことと、昔、父親が釣った、三つ目の鯰の話を軸に、日本人の宗教観を問う、「三匹の鯰」も収録されています。
isbn:4167580012:detail