tsumazaki no ishi「SHEEP FUCKER'S EXIT」@ザ・スズナリ

(あらすじ)
自己啓発セミナーLSDは、幹部達の思惑通りに会員が集らない上に古い会員に逃げられてしまい、経営が立ち行かなくなってしまう。その場しのぎでヤバイ筋にも金を借りてしまい、借金で首が回らなくなってしまい追い詰められてゆく。
彼らはセミナー生を洗脳してヒットマンに仕立て上げる事によって、その場を切り抜けようとするのだが。

感想は近日中にアップする予定です。

ジェットラグプロデュース「投げられやす〜い石」@新宿ゴールデン街劇場

(あらすじ)
美大の学生の山田(山中隆次郎)にとって佐藤(岩井秀人)はあこがれの存在だった。絵を燃やしてそれを作品だと言い切ったり、彫刻をすれば目の前の木々の方がいいと言い、誰にも認められていない山田に絵を描けと言ってくれるのも佐藤だけだった。
佐藤には、同級生の美紀(内田慈)という彼女がいた。山田は佐藤と一緒にいる美紀のことが好きだったけど、そのことを2人には言わなかった。
そんな学生生活を過ごしていたある日、佐藤は2人や支援者達の目の前からいきなり姿を消してしまう。様々な憶測が飛び交う中、最初は悲しんでいた2人も時間の経過とともに段々と佐藤のことを忘れていき、2人はやがて付き合い出し、結婚する事に。そんな時、山田のもとにしばらく姿を見せなかった佐藤が変わり果てた姿で現れる。
(感想)
個人的にとてもお気に入りの岩井秀人さんの作・演出・主演で、これまたお気に入りの役者さんが3人揃った、ジェットラグのプロデュース公演。時間的には岩井さんの所属する劇団、ハイバイの作品よりもコンパクトな1時間15分とやや短め。ただ、その分岩井さんの描く作品の世界をギュと濃縮したようなすごい作品に仕上がっています。
私個人は、岩井さんの作品を観ていると、とても面白く感じるのと同時に、面白いと感じている自分にどこか後ろめたさを感じてしまいます。それは人間のトラウマとも呼べる弱い部分や、自称良識のある大人達が差別だと言ってアンタッチャブルにしてしまっている部分を容赦なくえぐりながらも笑わせてくれるからです。今回も4〜5年に一度という微妙かつリアルな才能とそれ以上の自尊心を抱えた佐藤が病気で見るも無残になっていく姿を、岩井さん自身が丁寧なまでのイタイタしさと可笑しさで描き、時にはしんみりとさせてくれます。個人的には正直、作・演出家としてはホントに凄い人だと思ってた一方、役者としてはまあまあ凄い人かなといった認識だったのですが、今回の舞台ではその認識を一変させなくては、と感じてしまった位の見事な演技。特に病気になって目がいっちゃっている時の演技はホントに怖かったです!こんなもんを3回もやるのかと心からびっくりしました。(私の観た日は1日3公演の日だったので)
岩井さんだけでなく、他の役者さんもそれぞれがいい演技。佐藤へのあこがれとコンプレックスをあくまでも平凡な人になりきって演じた山中さん、居るだけで怖いまでの存在感がある中川智明さん、次の演技や他の役者さんへの反応が抜群に良かった内田慈さん。一見すると岩井さんの一人勝ちに見える作品ですが、内田さんを始めとした周りの役者さんの反応の良さも見逃せなかったと思います。
作品全体だけでなく、部分部分のパーツという点でも岩井さんの作品の魅力が良く出ていた作品だったと思います。個人的に印象に残ったのは、佐藤が中川さん演じるコンビニの店員に万引きを疑われ、疑いが晴れても執拗に追い詰められるシーンのしつこさ。そして、石を右手で投げるように見せかけて、ギリギリで左にスイッチするという何の意味もないけど馬鹿馬鹿しくも笑ってしまうシーン。蛇足ですが、実は石を投げるシーンは翌日思わず自演してしまいました。やっているうちに何だか楽しくなってしまうので、ヒマな方にはオススメです。

水野敬也講演会「天才の倒し方」@紀伊国屋ホール

飛鳥新社の「夢をかなえる象」が大ヒット中の水野敬也さんの講演会に行ってきました。実は私は「ウケる技術」は読んだのですが、「夢をかなえる〜」の方はまだ未読。ただ自他共に認める凡人である私にとっては、このタイトルをあの水野さんが講演するというのは何とも魅惑的。
最初は異常なまでに高いテンションにかなり引き気味だったのですが、そのテンションの高さに引きずられるように、話に引き込まれてしまい大満足。大爆笑しながらもためになる、とても刺激的な1時間15分でした。会場に早めに行ったのですが、私の行った時間にはサイン会の整理券はもう既に配布済みでした。
講演会に行く前は「天才に天才の倒し方を教えてもらっても」という気持ちが片隅にあったことは否定できなかったのですが、いざ話を聞いてみると自分の思っていたイメージと随分と違う印象を受けました。もちろん本人が言う以上に才能の占める比率は高いのでしょうけど、水野さんの一番の凄さというのは一つのことをとことんまでやりきってしまえる粘り強さと、とことんまでユーザー(読者)志向に徹しきれることにあるんじゃないだろうかと思いました。
演会のあった良く翌日に「夢をかなえる〜」は買ったので、他の本が一段落ついたら読もうかと思っています。

(水野さんが講演会で話した天才の話し方3項目)
その1 段取り 
   1.ベンチマーク:たくさん見本を集める
          例えば「ウケる技術」が横書きなのは、Z会の英会話のテキスト           を参考にしたため。似たような商品を50個集めて目を通す。
   2.サンプリング:本物に限りなく近いサンプルを作る。
   3.レスポンス :出来るだけ多くの人からレスを聞く。
          片っ端から見せてお客さんの反応を見て、悪い部分は改良
          する。
その2 努力する技術→努力することは才能ではなくスキルだ!
(例)禁煙セラピー メソッドが優れている。
      「人間は快に向かい、不快に逃げる」
          ↓
      「快」に向かうための、「妄想」の活用

その3 神降ろし→フロー理論:内的報酬で人が動く時「燃える集団」
          ↓
    呼び寄せる共通感:大義名分
    (例)「夢をかなえるゾウ」:気持悪くない自己啓発
    →幸運は人と一緒に来る。

reset-N「繭」@シアター・トラム

(あらすじ―フライヤーより)
西の宮殿にその人は住んでいる
東の都が放射能の風を受けてからのことだ

海をこえて始めた戦争が
海をこえて帰ってくる

人口が減っていく
ふりむくとひとりになっている

こんな時だから仕方ない
こんな世の中だからやむを得ない
その声を祖父母たちもたしかに聞いていた

報告をした人はどこかへ消えていく

誰かが口にした祈りが
噂となって広がる
その人が扉を開き
七百年のあいだ起こらなかった
革命が始まるのだと。

(感想)
去年観に行った舞台で客演で印象に残った役者さんが何人かいたのでもの凄く気になっていた劇団、reset-N。その時は、主宰で脚本・演出を担当されている夏井孝裕さんがフランスに留学したために充電中ということでとても残念な思いをしたのですが、やっと観る事ができます。
中央には鏡の仕切に囲まれた高貴な若い女性が一人。背後には上は白で下は黒で統一された衣装を着けて眼鏡をかけた登場人物達が、客席と対面した形で横一列に座っているところから舞台は始まります。さて、ここからどう動くのか?と思いながら観ていたのですが、小さな動きはあるものの静けさを保ったままの状態で舞台は進行していきます。
一方で、内容の方は自爆テロで皇居が破壊されるという何ともショッキングなもの。以前ほど神経質でなくなったとはいえ、一歩間違えるととても危険な題材に真っ向から挑んでいったことについては、素直に凄いなと思います。ただ、内容と、実際に舞台上で起こっていることの出来事とのギャップの大きさにかなりとまどったのは事実。正直に白状すると、この作品をどう取り扱っていいのは持て余したというのが、正直な所です。
ただ、次の2点についてはとても印象に残りました。

1.1人の「公人」の内面をかなり深くまで掘り下げた点。
「公人」の言動をメディアを通して聞いていると常々疑問に感じてしまうことがあります。それは、今の発言は果たして自分の意思で言っているのか?それとも取り巻きたちに言わされているのか?ということ。仮に自分の意思であった場合、それは心からそう思っての発言なのか?それとも周囲がそういって欲しいという空気を慮ってのものなのか?いざ、それを調べてみようとしても、人間の心の中はその人でさえ良く分からないもの。公人になればなるほど、境界線はあいまになっていき、そのブラックボックスの大きさに途方にくれます。この作品上の世界とはいえ、今回の舞台では、そんなブラックボックスのような部分にまで立ち入って描かれています。それによって、そこにいる一人の人間のどうしようもない無力さをかなり深いレベルまで描けていたと思います。

2.静かさの中にも、今日本を取り巻く危機感を私達の印象に残る形で描いている。
一見すると、作品の脇道や不純物のように感じる、ラジオのDJややる気のない護衛の会話。作品のアクセントとしてだけでなく、作品上の日本の危機感を浮かび上がらせて、それを現代の日本とシンクロさせていくことによって、実際の社会の危機感を炙り出しています。夏井さんが留学によって劇作にどんな変化が生じたのか?今回が初見の私には何とも判断ができません。ただ、日本についてこういった視線で見ることが出来るのは、「日本から日本を見る」ほかにもう一つ「日本の外から日本を見る」という視点がないとある程度の客観性を持たせることはできないのだろうと思います。

果たしてこの題材は、この表現方法で舞台になったことが適切だったのか?持て余した私には、残念ながら判断できません。ただ、私の見た印象では、取り扱う題材が題材だけに、どこまで描いて描かないのか、どこまで作品の純度を高めればいいのか、そのさじ加減にかなり迷いがあったように見受けられます。
役者さんの演技を楽しみにしていた、という部分ではやや肩透かしを食らった感はありましたし、作品だけでなくアンケートのないことやチケットの販売方法なども含めて劇団としての間口の狭さには疑問を感じる部分は多々あった公演ではあります。ただ、それ以上に入り口を入ったあとに、底の見えない奥行きの深さを感じたのも確かで、その中をもうちょっと覗いてみたい。そんな気分になりました。